地元・名古屋を中心に人気を集めたバンド「SINSEMILLA」の解散から10年、佐藤丈亮は「JOSUKE」として音楽活動を再開した。
その間には株式会社アートリーを立ち上げ、代表取締役として順調に事業を拡大させてきた彼は、なぜ再び音楽を発信するのか。
必然を感じずにはいられない、これまでの軌跡を語ってもらった。
14歳での転機と出会い
英語を習わせたかったという親の方針で、2歳からインターナショナルスクールに通っていたJOSUKE。音楽との最初の出会いは、通学で利用していたスクールバスの中だった。
「みんなバスで音楽を聴いてたんですよ。やっぱり外国人が多かったので、マリリン・マンソン、リンプ・ビズキット、コーン、エミネム、ネリー、ブリトニー・スピアーズ……洋楽に触れる機会は多かったと思います」
「B’zが好きな子もいたし、エレメンタリー(小学校)のときはSHAZNAが流行っていて、IZAMのコスプレをしている同級生もいましたね。それで一緒にカラオケに行って、SHAZNAやDIR EN GREYを聴いていた覚えはあります。ただ、当時はDA PUMPとかのほうが好きでしたね」
インターナショナルスクールで多様な価値観に触れていたJOSUKEだが、14歳で突然、転校を余儀なくされる。
しかし、それがきっかけとなり、音楽を始めることになる。
「家庭の事情で学校に通えなくなってしまって。インターナショナルスクールは9月から年度が始まるので、半年くらい家にいて、中3の2学期に地元の公立校に転校したんです。でも、そこで出会ったのが、のちにバンドを組むメンバーで。彼らに影響を受けて、X JAPANとかビジュアル系を聴くようになりました」
「悔しさも、涙も」順調だったバンドの解散
彼らとは別々の高校に進学したものの、アコースティックギターを弾く蒲生徹郎を相棒にユニットを結成したJOSUKEは、すぐに作詞作曲を開始。
次第に自宅に音楽仲間が集まるようになると、発展的にビジュアル系バンド「chaLtier(シャルティエ)」を結成する。
「自分で曲を作ったり、詞を書いたりして、それを歌って、いろんな人に聞いてもらう。それが刺激的だったんですよね。高校卒業後に蒲生が留学したのでchaLtierは解散したんですけど、残ったメンバーを中心に組んだのが、2005年に結成したSINSEMILLA(シンセミア)だったんです」
「ただ、ビジュアル系は嫌だというメンバーがいたので、SINSEMILLAはビジュアル系にはならなくて。ジャンルとしてはロックになると思うんですけど、もともとちゃんと歌になっているものが好きだったから、今回リリースした『夢の中で』みたいにメロディアスな曲が多かったですね」
当時のプロフィールに書かれていた「世界への陶酔」や「ロマンスとハードロックの融合」といった言葉は後付けだったそうだが、甘いマスクと派手なパフォーマンスも手伝い、SINSEMILLAは徐々に人気を獲得する。
JOSUKEも当初はギター&ボーカルを務めていたが、1年後に蒲生が留学から帰ってくると、ツインギターの一角を蒲生に任せて自身はボーカルに専念。よりパフォーマンスに磨きをかけた。
その後、自主企画のイベントには同じ地元だったSPYAIRも出演するなどネットワークを広げ、ワンマンライブにも150人以上を動員。
目標としていたメジャーデビューに着々と近づいていたが、晴天の霹靂が訪れる。
「そのワンマン直後くらいに、もうひとりのギターが就職で抜けることになったんです。ファンも増えだしたころだったんですけど、一旦そこで成長が止まってしまって。次のメンバーはすぐ見つかったけど、やっぱり最初からのメンバーだったので、そこには苛立ちもあれば、悔しさも、涙もありました」
「バンドやろうぜ!」が「会社やろうぜ!」に
結果、SINSEMILLAは2008年に解散。
その後も新しいバンドを組んだものの、一度上がったものをゼロから立て直すにはモチベーションが持たず、なかなか思うように活動は進まなかった。
そんなとき、SINSEMILLAでベースを担当し、中学の同級生でもあった古市将揮と再会する。
「また何か一緒にやりたいみたいな感じになったんですよ。古市は絵を描くのがうまかったので、作った曲にアートワークをつけて、動画にして、YouTubeにアップしてとか話しているうちに、“ITおもしれーじゃん”って」
実は学生時代から趣味でゲームサイトを作るなど、プログラミングやシステムについて熟知していたJOSUKE。当時はWeb制作会社でアルバイトをしていたが、デザインができる古市を相棒に独立したのだ。
2011年に株式会社アーティファクトリー(現アートリー)を設立し、代表取締役に就任すると、会社は順調に成長。
バンド時代の仲間を次々と社員として引き入れ、「バンドやろうぜ!」が「会社やろうぜ!」に切り替わった。
バンドと会社は別物ではない
そして2016年、自身がプロデューサー兼シンガーソングライターを務めるプロジェクト「50HEARTS」で音楽活動を再開する。
2018年夏からはSINSEMILLA時代の楽曲を今のアレンジで再発表するプロジェクトを開始。同年12月、ソロプロジェクト「JOSUKE」の名義で、SINSEMILLAの代表曲となっていた『夢の中で』をリリースした。
「当時、ちゃんとレコーディングした音源がなかったので、いまの自分がやったらどうなるのかなと思ったんです。それに、SINSEMILLAでやってきた曲を、JOSUKEとして再び世に出すことは、SINSEMILLAからアートリーまで続いていることの証明でもあるなと思っていて」
「今回の活動をするにあたって、やっぱり思い入れの強い『夢の中で』を1曲目にしたいと思っていたんですけど、この曲でスタートできることは単純にうれしいですし、“はじまったな”という感がありますね」
バンドと会社は決して別物ではない。
今回の「夢の中で」は、いわば必然としての産物なのだ。
少し変わった経緯で再び世に送り出されたこの曲を、これまでのJOSUKEのストーリーと重ね合わせて聴いてほしい。
Part2に続く。
(インタビュー・文:タナカヒロシ/編集:田島太陽[BLOCKBUSTER])